シンクタンク・ヨコハマ<明治の子供たち>「古写真で旅する江戸・明治(1)」無料公開講座より

アメリカ人写真家アーノルド・ジェンス(Arnold Genthe)とは、

独学で写真を学びサンフランシスコのチャイナタウンでの麻薬中毒者たちを撮影した後、作品が評価され写真家として活動をはじめた人物だ。

この子供の写真は1908年に日本に訪れた際に撮影したもの。

 

1908年、明治41年とは、どんな時代か。

日清戦争1894年、日露戦争1904年に勝利したあとの年。

1889年には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられ、

甲種合格の者はほとんどが兵隊さんになっている。

楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶( いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう」

その時代の人間を、そう表現した司馬遼太郎坂の上の雲」の舞台になった年の少しあとの時代。

 

この年、まだ、明治維新の元老も生きていたが、赤旗事件がおこり、それをきっかけに、社会主義思想の弾圧が厳しくなりはじめる。

この年、22歳の平塚雷鳥は、不倫で心中未遂をおこして、新聞に写真も載る。

清では、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が即位する。

日露戦争に批判的な考えの夏目漱石の「三四郎」が出版される。

 

1908年、明治41年は、ブラジル移民の第一陣の年である。

いったい、ブラジル移民とは、なんだったのか。

アメリカは南北戦争で、奴隷解放を掲げた北部の勝利に終わる。

しかし、この奴隷解放の波は南米にも押し寄せはじめる。1888年には、奴隷制度の廃止がブラジルでも実現する。

結果、アフリカ大陸からの奴隷によって支えられてきたブラジルの大規模プランテーション農家も、貴重な労働力であった奴隷がいなくなることとなる。

ブラジルの農家は、労働力不足に悩みはじめる。

日本では、日露戦争に勝利したものの、賠償金が得られない状況。

戦争での重い出費負担だけが残ってしまう。

景気は悪化、日本国中が、経済的な困窮がおこり、政府は、国民の面倒をみられなくなってくる。

そんな時代背景のなか、皇国植民会社はサンパウロ州との間に契約を締結して、ブラジルへ移民を多く日本から送り出していった。

 

その時代の子供たち。

この子たちは、兵隊さんになったのか、ブラジル移民へ移民したのか。

翌年には、伊藤博文がハルピンで安重根に暗殺される。

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無料公開講座

(日時) 2018年1月12日(金)  13時受付 13時半開演(約90分)

(場所) 横浜市栄公会堂 2号会議室 根岸線本郷台駅」下車 徒歩9分

(講師) 笹目 稜 (著述家)

(略歴)「歩く歴史講座」ほか、社会人のための寺社を巡る歴史講座を長年担当、
歴史を含めた幅広い講演、執筆活動を自治体等で行っている。
著書に「蓮池」角川出版ほか

(参加希望者連絡先)

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神奈川県横浜市中区桜木町1丁目101番地1クロスゲート7階 
シンクタンク・ヨコハマ」

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