シンクタンク・ヨコハマ歴史コラム「江戸時代の手」
江戸時代の古写真を見ていると手を隠しているものが多い、どうしてなのだろうか。
「手を隠す」「手を出す」のような表現があるが、手はどうやら、別人格で
下品なものと解釈されているからだと説明されているものがある。
また、女性の白く細い指をたとえて言う「白魚」という言葉があるが、この表現などは江戸時代から使われているようだ。
ここでは下品なものではなく、むしろ、手に独特な美意識を求めている。
そこで、美しいから、隠すということも考えられる。「秘すれば花」である。
ほかに、このような記事も読んだ。
『写された幕末 石黒敬七コレクション』(石黒 敬七 著 明石書店)では、
写真の説明に「手が大きくなると迷信され、揃って手を袖のなかに隠す武士と遊所の女達。」とある。『歴史読本 2014年5月号 古写真集成 幕末・明治の100人』では、写真に写ると手が大きくなる、また、手によくないことが起こるという俗信があったという説が載っている。
これなどは手が大きくなることを恐れた人々の感情だ。
浮世絵の美人画の異様に手は小さく描かれている。
手が大きい、小さいが関係しているのだ。
「手によくないことが起こるという俗信」では、このようにも考えられる。
「霊柩車を見たら、親指を隠せ」
呪いの言葉のように、私の子供心に植え付けられた。親の死に目に会えない、親が早く死ぬと教わった。町で霊柩車を見るたびに、随分と長いあいだ、反射的に親指を隠してしまっていた。
どうしてか。
江戸時代の国学者、小山田与清の『松屋筆記』によると、親指が霊的なものの出入り口と考えられていたというのだ。
親指の爪の間からは魂魄が出入りするため、死霊や穢れのようなものが入ってこないために親指を握って見えなくしろということからきた風習らしい。
そのような考えの背景が、時代としてあったとしら、写真が広がっていくなかで、霊的なものの出入り口を塞ぐ意味で、手を隠していたのかもしれない。
坂本龍馬の写真でも、手を隠しているが、あれは何の意味があったのだろう。